没後も参詣の絶えなかった僧俊弘
どんな伝承か
粕壁の最勝院は慈恩寺から分かれて春日部へ移った寺で、春日部氏の祈願所と菩提寺を兼ねて栄えたが、同氏の没落とともに衰えた。徳川氏の関東入国を機に勢いを取り戻し、このとき寺のために機敏に働いたのが、のちに中興の開山と仰がれる俊弘である。新編武蔵風土記稿によれば、俊弘は高徳の僧として聞こえ、僧俗の信仰はたいへん厚く、亡くなった後も人々が群れをなして参詣したという。俊弘の在世中には家光から寺領の朱印も与えられており、俊弘は延宝七年に入寂した。
原典より
「此僧高徳の聞えありて、僧俗の信仰斜ならず、示寂の後も諸人群詣すと云ふ。」—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。