義貞が軍勢をそろえた勢揃橋
どんな伝承か
小手指合戦の戦跡を訪ねて八国山から北へ田畑の間の道を下ると、山口の谷から流れ出る柳瀬川に、長さ三、四間の勢揃橋が架かっている。元弘三年、新田義貞がここで軍勢をそろえたことからこの名が付いたといわれる。橋のあたりから西を望むと、先に登った鳩ヶ峯を包む老松の森が墨絵のように見えた。著者は郷土史家とともに旧鎌倉街道とおぼしい道をたどって義貞の戦跡を歩いており、この橋を過ぎたあと長久寺の横の切り通しを抜けて吾妻小学校へ向かっている。
原典より
長さ三四間の此橋は、義貞が此所に軍勢の所謂勢揃いをしたことから出た名稱であると云われてゐる。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。