海難を逃れた若者と船乗地蔵
どんな伝承か
吉久保の打越の集落に、台座が船の形をした地蔵の小祠があり、船乗地蔵と呼ばれる。昔この地方には金比羅講があり、講金が貯まると輪番で代参を立てて讃岐の金比羅宮へ参った。ある年選ばれた若者二人の船が荒海で沈んだが、二人は信心のおかげで助かり、参拝を果たして帰った。村人は無事を喜び、溺れ死んだ人々の供養に地蔵を祀ったという。のちに腫れ物や皮膚病に効くとされ、腫れ物の数だけ松かさを供え、願いがかなうと前でとんぼ返りをしたので、逆さ返りの地蔵とも呼ばれた。明治四十年ごろ台座を残して消え、昭和九年に新橋の智光院で見つかって元の場所に戻された。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
小山町史 第9巻 (民俗編)(小山町史)
『小山町史 第9巻(民俗編)』は、静岡県駿東郡小山町の町史の民俗編から、口頭伝承の章の伝説の節を抜き出したものである。石子詰にされた忍びの若者・用沢小僧の伝えを出典ごとに並べ、むらの名の由来、金太郎ゆかりの地と石、仇討如来や鬼鹿毛馬頭観音、村境の決め方、竹之下合戦にまつわる伝えなどを収める。富士山麓と足柄山のあいだの町に残る、地名と社寺・石に結びついた言い伝えが中心である。