稲妻小僧とも呼ばれた用沢の少年
どんな伝承か
安永年間、用沢村に庄兵衛という少年がいた。一夜に四、五十里を駆け、姿を消す術を身につけて大胆な振る舞いが多く、用沢小僧の異名をとった。のちに江戸へ出ると稲妻小僧とも呼ばれたという。罪を問われ、安永六年二月二十二日、二十四歳で村人に石子詰にされたと伝わる。穴の底にいながら石を投げ入れる者の名を一人も誤らず言い当てたともいう。死後、村で凶事が重なったので祟りとされ、青竜寺の孝州和尚に頼んで手厚く供養し、石を除いて葬り直した。その折、縦縞の着物や甲州印伝の煙草入れは少しも傷んでいなかった。村人は家ごとに五輪塔を立てて冥福を祈り、その塔は今も用沢の家々に残る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
小山町史 第9巻 (民俗編)(小山町史)
『小山町史 第9巻(民俗編)』は、静岡県駿東郡小山町の町史の民俗編から、口頭伝承の章の伝説の節を抜き出したものである。石子詰にされた忍びの若者・用沢小僧の伝えを出典ごとに並べ、むらの名の由来、金太郎ゆかりの地と石、仇討如来や鬼鹿毛馬頭観音、村境の決め方、竹之下合戦にまつわる伝えなどを収める。富士山麓と足柄山のあいだの町に残る、地名と社寺・石に結びついた言い伝えが中心である。