斬られた太吉が立つ幽霊が淵
どんな伝承か
天保の末ごろ、播州のある町で龍頭とあだ名された博徒の親分源吉は、日ごろ快く思っていない太吉に子分の前で投げ飛ばされ、面目を失った。源吉は子分の伊平らを連れて加古川の堤の小屋に潜み、夜、酔って帰る太吉を襲った。太吉は源吉を組み伏せたが、背後から子分に斬りつけられて殺され、死骸は川に投げ込まれた。翌朝、川下の淵に船を泊めていた船頭平助は、夜中に崖の上に血まみれの男の幽霊が立っていたと震えながら語り、数日後には淵から太吉の死骸が上がった。以後、淵の崖には太吉の幽霊が立ち、幽霊が淵と呼ばれた。源吉は不吉が続いて衰え、夜中に太吉の霊に追い回され、やがて捕らえられたという。
原典より
名も物凄い幽霊が淵と呼ばれるになったのである—— お化と幽霊 怪談揃ひ(大文館編輯部(編纂)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
お化と幽霊 怪談揃ひ(大文館編輯部(編纂))
『お化と幽霊 怪談揃ひ』は、播州を中心に摂津・淡路・大阪・神戸の怪異を集めた怪談集である。神戸のチャブ屋に残された下女の片足の靴、明石の坊主橋に出る按摩の怨霊、西瓜に浮かぶ女の顔、淡路洲本の白壁物語、西宮のねてこが池の怪などを、地名と人名を挙げて講談調で語る。三十余りの話を並べ、天保や明治九年の出来事とする話のほか、寄せられた原稿によるとことわる話も含む。