重仁親王が隠れ住んだ御所平
どんな伝承か
御所平は、崇徳上皇の皇子重仁親王が保元の乱の後に逃れてきた地だという。親王は難を逃れて更科の村上基国を頼り、基国は身を潜めて再起を図るよう勧め、愛馬の白馬を献じた。親王は藤原忠良らわずかな供と南相木に住んだが、不便なため臨幸峠を越え、男山を回って神出口に下り立ち、この地に館を築いた。御殿の窪(今の御堂の窪)、大門先、馬場平、鷹揚場などは兵馬を鍛えた名残と伝わる。親王は再起を果たせず、応保二年八月十五日に二十三歳でここに没したといわれ、霊宮は御霊様と呼ぶ所に築かれ、背後の山を内裏山という。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 民俗編 第1巻 3 (東信地方 ことばと伝承)(長野県史)
『長野県史 民俗編 第1巻(三)東信地方 ことばと伝承』は、長野県史の民俗編のうち東信地方の伝説と世間話を抜き出したものである。植物・石・水・塚・坂と峠・山・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・社寺・地名・禁忌などの伝えを、条ごとに採集地を添えて収める。双子池や白駒の池の主、望月の駒、甲賀三郎、ごまを作らない村々の禁忌、京の岩・宮下・菱野村の七不思議など、佐久・小県の土地の伝えが並ぶ。