禁を破って鶴を射た南兵衛兄弟
どんな伝承か
猟師の南兵衛はある日、小舘の天王山で獲物に恵まれず、禁制と知りつつ頭上の鶴を射たが外した。山を下りた北方の橋場で同じ鶴を見つけて射止め、隠して持ち帰った。弟と鍋にしていると庄屋の使いが食わせろと迫り、断られた腹いせに告げ口した。当時の駒形は白河領で、役人が来たため兄弟は橋場の老婆の家に潜み、夜に水戸へ逃れた。水戸藩で猟の腕を認められたが、故郷を追われた恨みから庄屋九衛門を討とうと夜に戻り、闇の中で互いを敵と見誤って兄は弟に斬られた。兄は通りがかった東山の人に首を落としてもらったという。駒形には今も南兵衛屋敷跡が残る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
平田村史 第3巻 (民俗編)(平田村史)
『平田村史 第3巻(民俗編)』の昔話と伝説の章から、伝説と世間話の節を抜き出したものである。福島県石川郡平田村の大字・字ごとに、八幡太郎義家や日本武尊にまつわる地名の由来、河童石、姥捨ての十石山、平堂内の大蛇、鶴殺し南兵衛、狐に化かされた村人の話などを収める。阿武隈の山あいの村に残る、石と塚と小さな祠にまつわる伝えが中心である。