盗賊を捕えた棒術名人の多宝塔
どんな伝承か
法伝寺の前身の蓬田寺は文明十三年に蓬田城主秀光が開いた曹洞宗の寺で、のちに法田寺と改められ、火災のあと山田へ移って法伝寺となった。その山門跡に三重屋根の多宝塔がある。幕末のころ、幕府の金山から金塊がたびたび盗まれ、すばしこい盗人に役人も手を焼いていた。捕縛を命じられた蓬田の棒術の名人八巻は、塙の祭りの日に現れた盗人を取り押さえ、褒美とともに塙の姓を許された。八巻は本尊のおかげと喜んで多宝塔を一対寄進したが、明治維新のとき西軍に倒され、残りを集めて一基にしたのが今の塔だという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
平田村史 第3巻 (民俗編)(平田村史)
『平田村史 第3巻(民俗編)』の昔話と伝説の章から、伝説と世間話の節を抜き出したものである。福島県石川郡平田村の大字・字ごとに、八幡太郎義家や日本武尊にまつわる地名の由来、河童石、姥捨ての十石山、平堂内の大蛇、鶴殺し南兵衛、狐に化かされた村人の話などを収める。阿武隈の山あいの村に残る、石と塚と小さな祠にまつわる伝えが中心である。