王子神社に納める一の瀬の矢竹
どんな伝承か
一の瀬の東、城山の西斜面に神明領・矢の川という地名がある。そこの笹竹は天正年間から、大町の社の神明宮と若一王子神社の祭りで、射手童子のいたいぽぽが引く弓の矢に使われてきた。今も一の瀬の勝野銀二郎・勝野稔・勝野嘉明の三家が竹を切り、祭りの日に当主が礼服で王子神社へ納め、客分として上座近くでもてなされるという。仁科盛遠が十五歳で元服したとき、この地の竹を矢にしたのが始まりと伝わる。ここのカヤも神明宮へ納めてきたが、運ぶ途中で出会った人が病むとされ、一時は納めるのをやめて大豆六斗を代わりに奉ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
八坂村誌 民俗編・民俗編資料
『八坂村誌 民俗編・民俗編資料』の口頭伝承の節から、伝説と昔話を抜き出したものである。長野県大町市八坂(旧北安曇郡八坂村)の大姥山と鷹狩山の山姥・金時の伝え、池の主と大蛇、城跡と長者屋敷、狐・狸・むじな・山犬・天狗・河童の話、社寺の由来、雨乞いの伝えなどを、集落ごとの聞き書きで収める。犀川の谷あいの山村に残る、山と獣と水にまつわる話が中心である。