病人を背負って押し掛けた一家
どんな伝承か
弘化三年九月、狐を憑けたと責められていた比企郡の村の老女乙のもとへ、甲の孫が来て、山地の件が片付かないなら病人を連れて来ると告げた。翌十日、甲の家の者は病人の丙を背負い、付き添いの妹二人とともに乙の家へ押し掛けた。乙は農繁期に薬や食事の世話をさせられて困り果て、十二日に訴え出ようと村を出たが、組頭二人に追いつかれ、代官所の役人の意向として菩提寺のS寺に任せるよう説かれて引き返した。親類や村役人からも、わずか十五歩の下畑なら返して病人を治せと諭され、乙はやむなく承知し、済口証文が作られた。こうして乙が狐を使うことは暗に認められた形になった。
原典より
ところが、九月九日孫が私宅へ来て、山地一件のことが解決されない以上は、病人をつれて来ると言って帰り、十日に病人を背負って、付添人の妹二人と共にやって来た。—— 近世史料にみる狐憑きの俗信(小池信一) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近世史料にみる狐憑きの俗信(小池信一)
『近世史料にみる狐憑きの俗信』は、小池信一が紀要に寄せた論考で、同じ紀要の第三号に載せた憑き物「オーサキ狐」の前稿に続き、狐憑きをめぐる訴訟の古文書を読み解いたものである。弘化三年、武州比企郡の村で百姓の悴が病にかかって狐が憑いたとされ、その父が組頭の祖母に狐を憑けられたとして奉行所に訴えた一件の訴状と返答書を、地名と人名の一部を記号に替えて翻刻する。両者の申し立ての要旨を示し、山地と下畑をめぐる争いに俗信が利用された経過を論じる。