年貢の気苦労が招いた狐憑きの死
どんな伝承か
延享元年、守山領三城目村の半之丞の妻が狂気して行方知れずになった。村中が総出で捜したところ、意識のはっきりしない昏迷の状態で見つかったが、直後に息を引き取った。妻はもともと気の小さい者で、年貢を滞納していた気苦労から気を病んだものと考えられている。記録には「狐付」と書きとめられた。理由の分からぬ死や失踪を狐の仕業とみる見方は当時ごく自然のもので、狐憑きは僧侶や修験者による祈禱の対象でもあった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
疫病と狐憑き-近世庶民の医療事情(昼田源四郎・昭和中期(推定))
本書は江戸時代の陸奥奥州守山藩領における『御用留帳』を史料とした、近世農村の医療事情と心霊現象の研究である。狐憑きや物付きなどの精神疾患が、祈禱や指籠入れ(座敷牢)によって治療された実例を14件詳述する。天明・天保の飢饉や流行疫病(疱瘡、麻疹、コレラ等)への対応と並行して、乱心者の社会的処遇、責任能力の鑑別問題、欠落(逃亡)との区別が論じられている。