侍を欺いた武家姿の商人
どんな伝承か
富岡町の商人・京はんは恰幅がよく容貌も立派だったため、常々武家姿に扮していた。ええじゃないかの踊りの中を肩肘張って押し分け、江田の渡あたりへ差しかかったとき、踊り子を追い返して回る本物の侍に呼び止められた。京はんは度胸を据え、『拙者は徳島藩加島の家臣でござる、只今主用を果しての帰途にござるぞ』と偽り、侍はこれを信じて丁重に詫びて通した。京はんは悠々とそこを通り抜け、徳島の金比羅宮参詣へ向かったという。
原典より
富岡町の京はんは商人ではあつたけれども、恰幅はあり容貌魁偉だつたから武家姿に身を扮してゐた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。