明和の御蔭參り拔參り
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どんな伝承か
明和八年四月に起きた三度目の伊勢神宮の御蔭参りの抜け参りは、宝永二年から数えて六十六年後のことであった。今回は山城の宇治を起点として関西全域に広がり、やがて東へ伝わって江戸や奥州にまで及んだ。参加者の数は膨大で、沿道での施しも盛んに行われた。本文は途中で切れているため詳細は不明だが、牛馬や犬なども関わっていたと思われる。
原典より
第三回の御蔭參り拔參りは明和八年四月、即ち寶永二年から六十六年の後である。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・昭和(対象は幕末)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・昭和(対象は幕末))
概観篇では御降り(御札降り)に関する騒擾、伊勢神宮への御蔭参り・抜参りを慶安・宝永・明和・文政・慶應と時代別にたどり、慶應のええじゃないか、阿波のええじゃないかへと展開。幕末阿波(徳島)の御札降り・群集乱舞・世直し的民衆運動を、各事例の冒頭に【日付】【場所】【人物】【状況】マーカー付きで網羅した民俗・世相史。
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宇治市の伝承
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