福来少年の立志と親友の証言
どんな伝承か
斐太中学校で松本友吉と机を並べた上原菊之助は、旧制高校の教授を務めたのち古川町に暮らしており、訪ねた著者に友吉の思い出を語った。友吉は小柄ながら腕力が強く、幽霊退治の折には一人で何人もの悪童を投げ飛ばして改心させたという。電灯のない時代で、夕日の明かりを惜しんで英語を学び、浄瑠璃や歌、英語の演説、似顔絵までこなした。口癖は、心理学と哲学を修めて立派な教育者になるということだった。山田製糸の娘から恋文が届いたときも、学問の険しい道を行く身だから別の人と幸せになれと断りの手紙を書き、仲間は惜しがってはやしたてたという。
原典より
福来友吉は男は余り大きくなかったが、腕力は恐しい程強くて、幽霊退治の時は一人で数人の悪太郎を取って投げて改心させた程だったよ。—— 念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年))
『念写発見の真相』は、飛騨に住む山本健造が著した福来友吉の伝記と学説紹介の書で、はしがきは昭和五十五年十一月三日付である。念写を発見した福来の幼少期から、東京帝大での透視・念写実験と追放、宣真女学校長・高野山大学教授の時代、仙台での晩年までをたどり、著者による高山市の福来博士記念館建設の経緯や六次元の原理を述べる。全十五章からなり、第二章に福来の論文「弘法大師の御霊影」を再刊のことばとともに収める。