お札降りの東限とされた原之茶屋の降札
どんな伝承か
信濃で起きたお札降りの騒ぎのうち、もっとも東で確かめられているのは諏訪郡の例で、慶応三年十二月二十二日に原之茶屋で札が降ったのがそれにあたるという。伊那谷を北上してきた騒ぎは辰野から天竜川に沿って東へ進み、諏訪郡の村々へ伝わっていた。原之茶屋の降札は、その波がたどり着いた信濃の東の果てを示す例とされる。
原典より
なお、信濃のお札降りの東限は諏訪郡で、十二月二十二日の原之茶屋(富士見町)の例になる。—— 松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史)
『松本市史 第2巻 歴史編2』は、信濃の松本市の市史のうち歴史を扱う巻で、ここにはその節「三 お札降り」だけが収められている。慶応三年七月ころから翌年にかけて、天から神仏の札が降ったとして酒食して騒いだ「お札降り」「ええじゃないか」が、伊那谷と中山道の二筋を通って信濃に広まったさまを、飯田・高遠・諏訪・木曽などの記録から追う。後半は松本城下と周辺村の降札と松本藩の禁令を述べ、上今井村に降った札の種類と枚数を表に示す。