金子かたり取し者の事
どんな伝承か
番町あたりに住む須藤文左衛門という男は、武家屋敷の仕送り用人をつとめる、なまじ才覚のある人物だった。去年か一昨年の師走の二十五、六日ごろ、この男は金二十両をまんまと騙し取られた。その無念はいまも骨身にしみて消えず、かかわった三人のうち誰か一人は必ず捕らえてみせると言って、いまなお相手を尋ね歩いているという。
原典より
去年とか去々年とか師走の廿五、六日に、金子廿両かたり被取、今に其無念を念骨随に徹し、「三人の内いづれか不捕事はあるべし」と、今以尋るよし。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。