同じ女郎屋の別座敷にいた大工音五郎らが
どんな伝承か
明治十一年十月のある晩、平塚の恵比寿屋の一室では、八幡の棟梁と呼ばれる大工が盃を置いてヤンレ節をうたい出した。「処は相模の真土村で、音に聞えし松木だと云ふは、他人の田畑に実名をつけて」と、真土村の強欲戸長を諷刺する替え歌である。芸者が少し変な歌だと笑うと、若い新ちゃんは面白いと有頂天になって立ち上がり、両手を振りながら踊り出した。三人の声を揃えたヤンレ節は恵比寿屋の建物を揺るがすように起こり、歌の半ばで襖が開いて娼妓の小万が入って来ると、棟梁の背中合わせに坐って声を合わせてうたった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
奇談全集 現代篇(田中貢太郎・奇談全集・大正~昭和初期(推定))
本書『奇談全集 現代篇』は、田中貢太郎による幕末から昭和初期にかけての日本各地の怪談・奇談を集成した作品である。明治維新期の松木事件から関東の連続殺人鬼事件まで、実地取材に基づく歴史的事件の記録と、民間に伝わる幽霊譚・怪異現象が混在している。特徴は、単なる怪談の創作ではなく、実在の地名・人物・事件を背景に、社会的矛盾や人間の怨恨が生み出す超自然現象を描く点にある。