文政の降札で遊び日とした羽田村
どんな伝承か
羽田八幡宮の宮司羽田野敬雄が書き継いだ「萬歳書留控」には、文政十三年の御蔭参りの折の羽田村の様子も記されている。七月二十五日に御札が降ると、村じゅうでその日を遊び日とし、皆が羽田八幡宮に参って拝礼した。燈明は中郷・北側・西羽田・百度のいわゆる四嶋から献じられ、西宿と西町からは提灯が二張りずつ上げられたという。四嶋という語は同じ記録にたびたび現れ、八幡宮と特別の結びつきを持つ宮座のような組織であったらしい。
原典より
前述のように羽田八幡宮を中心とする三河国渥美郡羽田村の御札降りについては、佐々木潤之介氏(一九七七年)による羽田野敬雄「萬歳書留控」の紹介ですっかり有名になり、先年はNHKテレビ「歴史への招待」でもとりあげられた。—— ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年))
『ええじゃないか始まる』は、田村貞雄が一九八六年に著した幕末の民衆運動「ええじゃないか」の研究書である。慶応三年に三河から遠江・駿河へ広がった御札降りの発端を、牟呂村の「二夜三日正月」、御鍬百年祭、吉田宿の助郷騒動、秋葉信仰との関わりから、村方の文書や日記、市町村史の史料をもとに追う。はしがきに続く八章で発端から波及、仕掛人をめぐる諸説、祭の後の「代替わり」までを論じ、主な史料はその原文を別組で示す。