吉田宿助郷騒動の打ちこわし
どんな伝承か
慶応三年三月、吉田宿で助郷騒動が勃発した。この時期どの村々でも村役人層は助郷をめぐる嘆願運動の先頭に立っていたが、助郷賃銭が二年たっても未払いのままであることへの不満はやがて村方騒動の様相を呈し、一般農民の怒りは村役人層へ向けられた。吉田宿助郷騒動は主として村役人層を攻撃の対象とし、家宅が打ち壊された。しかも幕藩権力は喧嘩両成敗の形で村役人たちをも罪人として扱った。かれらは村落支配者としての自己に不安を覚え、幕藩権力にも絶望せざるをえなかった。
原典より
* 助郷騒動の衝撃* 豊作の予兆* 「天下に人なし」* **VI 「ええじゃないか」への転化*** 吉田宿の御札降り* 西への波及――三河* 七日七夜の祭礼* 名古屋の新史料――「青窓紀聞…—— ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年))
『ええじゃないか始まる』は、田村貞雄が一九八六年に著した幕末の民衆運動「ええじゃないか」の研究書である。慶応三年に三河から遠江・駿河へ広がった御札降りの発端を、牟呂村の「二夜三日正月」、御鍬百年祭、吉田宿の助郷騒動、秋葉信仰との関わりから、村方の文書や日記、市町村史の史料をもとに追う。はしがきに続く八章で発端から波及、仕掛人をめぐる諸説、祭の後の「代替わり」までを論じ、主な史料はその原文を別組で示す。