円明寺山寺の弥平家への太神宮降下
どんな伝承か
京都市中に近い伏見や乙訓・久世郡などは、十月十八日までには騒ぎの圏内に入っていた。この辺りは京都市中の影響を受けたものとみられる。乙訓郡大山崎村では、その十八日に円明寺山寺の弥平家へ太神宮が降下している。さらに十一月三日にも山崎に降ったという。以上は『大山崎史叢考』の伝えるところである。なお同じころ、大坂高槻の藪家日記「日新」十月十八日の項には、伏見や南山城の高津屋・寺田・玉水、河内藤坂などで、おおぜいが衣装を飾って踊っているとの記事がある。
原典より
乙訓郡大山崎村は、十八日に円明寺山寺の弥平家に太神宮が降下し、十一月三日にも山崎に降っている(『大山崎史叢考』)。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。