長州軍の着いた翌日の尾道の札降り
どんな伝承か
備後尾道では慶応三年十二月三日から「お札降り」の騒ぎが始まった。広島藩士加藤某が尾道出張中に記した日記には、天から太神宮の御守り札が降ったと町中が大騒ぎになり、妓のおやまも太鼓・三味線で狂言をし、札の降った家では酒を振る舞い、大きな家では四斗樽まで施したとある。長州藩の軍勢が尾道に上陸した翌日に始まったことから、政治的な作為が疑われている。長州藩士堀真五郎の『伝家録』にも、商家の子女や歌妓が男女の姿を入れ替えるなど奇抜な仮装で踊り歩いた様子が記されている。
原典より
尾道町=而は、天より太神宮様之御守札天降り候と申て、町中大騒き、妓おやまも太鼓三味線にて、其外町人之気違とも色々狂言事を致し候事。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。