屋根に神符が降る尾道のエジャナヒカ踊り
どんな伝承か
元貴族院議員友松山荘の『伝家録』は、幕末の尾道ではやった踊りをこう書き残す。港の栄える商いの町に兵が滞在していたころ、ある踊りがはやり、商家の娘から芸妓までが晴れ着で群れをなし、壮年の男たちも加わった。男の体に女の首をつけたような者や役者・小人めいた奇抜な姿の者がともに浮かれ、毎日通りを踊り歩いた。囃し言葉は「エジャナヒカ」を繰り返し、長州や薩摩の上洛をはやすものだった。踊りの前夜には決まって、屋根の上や二階の欄干など思いがけない所に神符が降り、誰の仕業か知る者はいなかった。符の降った家は吉兆として祀り、酒を用意して踊りの群れを迎え、酔った家人もその列に加わって踊って行ったという。
原典より
而して前夜必ず二三の屋上、若くは二階の欄干、□下等、其他意外の所に於て、神符の降下するあり、何者の所為なりや之を知る者なし、…—— 尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史)
『尾道市史 -新修-第2巻』は、第二十一節「「お札降り」と「ええじゃないか」」だけを収めた抜粋である。慶応三年の冬、尾道で伊勢大神宮などの御札が降ったとして町中が踊り騒いだ一件を、尾道一宮社文書、芸藩の会計係の「尾道出張日記」、友松山荘の「伝家録」で示し、竹原下市の頼家の日記や書状、広島の例と比べる。後半は学界の諸説を紹介し、栗田年誌から米価の高騰や竹原の打ちこわし、栗原村の徒党の記録を引いて、世直しの動きとの関わりを論じる。