竹原下市に降った神札と酒宴
どんな伝承か
竹原下市の「ええじゃないか」騒動は十二月八日から始まっている。永祺の記録によると、大家中家残らず御神札や磁像など種々が降臨した。降臨のあった家では老若とも大悦で、すぐに酒を飲むことになり、大家で降臨があると奴僕の輩がたくさん入り込んで牛飲大食のうえ、盆よりも苦しい狂踊が昼夜の別なく行われ、大酔して人事を省みぬ有様であった。この状況は市中の日常活動を麻痺させている。下市で降臨のあった家は多く、正月の打ちこわしに遭わなかった年寄菅超右衛門、年寄同格米屋半三郎宅など、ほとんどの上層町人の家に降臨があったという。
原典より
永福の記録によると、大家中家のこらず「御神札磁像等種々」降臨した。—— 尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史)
『尾道市史 -新修-第2巻』は、第二十一節「「お札降り」と「ええじゃないか」」だけを収めた抜粋である。慶応三年の冬、尾道で伊勢大神宮などの御札が降ったとして町中が踊り騒いだ一件を、尾道一宮社文書、芸藩の会計係の「尾道出張日記」、友松山荘の「伝家録」で示し、竹原下市の頼家の日記や書状、広島の例と比べる。後半は学界の諸説を紹介し、栗田年誌から米価の高騰や竹原の打ちこわし、栗原村の徒党の記録を引いて、世直しの動きとの関わりを論じる。