鞍馬山の天狗に札を配らされた熊吉
どんな伝承か
尾道では慶応三年十一月末から諸神社の御札降りが始まり、町中五、六百軒も降ったといい、昼夜を分かたず踊りが続いた。降った家では内に七五三を張り、門に笹を立てて諸人へ酒を酌み飲ませた。その頃、当所新開新店の万兵衛方に出入りする十五歳の熊吉という者が、先だって大坂へ奉公に行き、ある家に勤めていたところ、鞍馬山の天狗様が白髪の老人の姿で現れて熊吉を呼び出し、御札と多くの金子を持たせて配らせたという。熊吉は、中空に道があってそこを往来したのだと話した、と尾道一宮社文書は伝えている。
原典より
十五才熊吉と云者、先達而大坂へ奉公に行、何某方に動居候処、鞍摩山天狗様白髪之老人にて御出被成、熊吉を呼出し、御札并金子沢山に為持そぐ御配らせ被遊候、…—— 尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史)
『尾道市史 -新修-第2巻』は、第二十一節「「お札降り」と「ええじゃないか」」だけを収めた抜粋である。慶応三年の冬、尾道で伊勢大神宮などの御札が降ったとして町中が踊り騒いだ一件を、尾道一宮社文書、芸藩の会計係の「尾道出張日記」、友松山荘の「伝家録」で示し、竹原下市の頼家の日記や書状、広島の例と比べる。後半は学界の諸説を紹介し、栗田年誌から米価の高騰や竹原の打ちこわし、栗原村の徒党の記録を引いて、世直しの動きとの関わりを論じる。