竹原下市の大家に降った神仏の像
どんな伝承か
安芸の竹原下市では慶応三年十二月八日から神仏の像や札が降る騒ぎとなった。頼永禧の記録によれば大家中家残らず諸神札・木像などが降り、大三島の藤井比蔵は伊勢太祓・三島の守札・出雲山・上蛭子・大国天・弘法大師など神仏の別なく降ったと記している。降臨のあった家では大いに喜んで酒を振る舞い、大家では奉公人たちが牛飲大食して激しい乱舞に陥った。頼永禧の家にも降札があり、両三日間昼夜を分かたず酒食の祝宴を張ったため、その出費は少なくなかったという。
原典より
安芸の竹原下市では十二月八日から騒ぎとなり、頼永禧の記録によると、大家中家へのこらず「諸神札木磁像等種々」降るとあり…—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。