龍宮の秘密を語って死んだ阿感坊
どんな伝承か
『ロロ相承龍宮本記』の後半に語られる話である。天文十六年(一五四七)、宮子の住人で隠居の阿感坊が龍宮へ行き、三年を過ごして無事に帰ってきた。天正十九年(一五九一)に宮子へ入国した領主跡部民部少輔良直は、社僧東坊からその話を聞き、十一月に阿感坊を呼び出して龍宮の様子を尋ねた。阿感坊は龍女に固く口止めされていると断ったが、語らねば手打ちにすると迫られ、覚悟を決めて語った。龍宮の三日は三年にあたり、橋は瑪瑠、柱は瑠璃色、屋根は琥珀で、何百人もの美女が入れ替わり接待したという。龍馬石・正観音・瑪瑠の玉を差し出して退出した阿感坊は、たちまち顔色が変わり、自宅に帰ったその夜のうちに落命した。一説には、門の外の遠釜の渕へ落ちて亡くなったともいう。
原典より
こうして物語が終わり阿感坊は退出するが、たちまち顔色が変わり歩行もままならない様子となる。—— 伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史)
『伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説』は、伊勢崎市が編んだ市史民俗編のうち、俗信と伝説・昔話の節の抜粋である。オサキや水死体を知らせる鶏などの俗信と、赤城と日光の神戦、赤堀道玄の娘の入水、『神道集』の宮子の龍宮、義経や鎌倉権五郎にまつわる伝説を、『伊勢崎風土記』などの記録や土地の語りを引いて記す。伝説を赤城山・『神道集』・義経・権五郎・寺社・入定・城などの七類に分けて述べ、十二支由来などの昔話を続ける。