謡曲親任の舞台となった大聖寺
どんな伝承か
大正寺の墓地には、那波氏の墓と伝わる中世の宝篋印塔が二基残り、市の重要文化財になっている。ここにはかつて、世良田の長楽寺とつながりの深い天台宗の名刹、大聖寺があった。謡曲「親任」はこの寺を舞台にした物語である。那波将監成澄が寺に乗り込んで居座り、花菊を殺して差し出さねば本堂を焼くと住持に迫った。兄弟は本尊の小さな観音像まで焼かせるわけにはいかないと覚悟したが、ある僧の機転で本尊を運び出せた。兄弟は乳母の子である那須の十郎親任や堂衆の助けを得て、父の本懐を果たしたという。土地でも、ここに大聖寺という大寺があり那波氏と縁があったと語り継がれている。
原典より
このとき一人の僧の機智で本尊の像を持ち出すことに成功し、兄弟は親任や堂衆の協力によって、みごと父の本懐を遂げるという話である。—— 伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史)
『伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説』は、伊勢崎市が編んだ市史民俗編のうち、俗信と伝説・昔話の節の抜粋である。オサキや水死体を知らせる鶏などの俗信と、赤城と日光の神戦、赤堀道玄の娘の入水、『神道集』の宮子の龍宮、義経や鎌倉権五郎にまつわる伝説を、『伊勢崎風土記』などの記録や土地の語りを引いて記す。伝説を赤城山・『神道集』・義経・権五郎・寺社・入定・城などの七類に分けて述べ、十二支由来などの昔話を続ける。