玄海壇と立川の地名由来
どんな伝承か
ざる屋敷の東北一キロ弱の所に、玄海という偉い僧を葬ったと伝える玄海壇がある。一名を墓の越ともいい、円墳の形をしている。もとは壇の上に杉と榎の大木が茂って遠くからの目印になっていたが、昭和十六年に付近の桑畑を開田する際、木陰で稲が実らぬことを慮って切り倒された。壇の東北を鶴沼川が流れ、西側の青津堀から田に水を引く青津や大上の人々が、堀さらいのたびに見晴らしのよい壇の上で休むので、感謝のしるしに小さな稲荷のお宮を建てたという。玄海は大川を歩いて渡る際、かじかが脛毛に卵を産みつけたので、孵化するまで昼夜川中に立ち通したと伝わり、のちに付近にできた村を立川と名づけたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史)
『会津坂下町史 1(民俗編)――伝説』は、会津坂下町の町史民俗編のうち、第二十章「伝説」を収めたものである。高寺山の黄金千杯、佐原・栗村の水田開発、交通路、空也・徳一、神仏、地名、雨ごい、狐、笑い話・逸話、妖怪変化、部落の起源、人物にまつわる町内の伝説を集める。冒頭で伝説の意義と自然・歴史・信仰の三分類を述べ、主題別の節に分けた各話の末尾に話者と、井関敬嗣・薄嘉明ら執筆者の名を記す。