四十八の沼と権現の由来
どんな伝承か
昔からこの地方には社殿を中心に四方へ四十八の沼が散在していたといい、そこから四十八ヵ瀬権現の名が生まれ、四十八ヶ瀬神社となり、のちに広瀬神社となったと伝える。沼の群れは明治末期の耕地整理でおおかた埋め立てられ、今は境内に大沼・目薬沼・馬沼・婆沼・釜沼の五つが残る。大沼には浮島があり、村の喜八が釣りをして手ごたえを感じ糸をたぐると、沼の中の小島が白波を立て大口を開けて迫ってきたので、竿を捨てて逃げ帰ったという。馬沼からは生月という白い名馬が現れ、婆沼からは老婆が出たといい、目薬沼の水で洗眼すれば目が治ると伝える。釜沼は底に沈む釜が鳴るという。
原典より
昔からこの地方に社殿を中心として四方に四十八の沼が散在してあったそうだ。—— 会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史)
『会津坂下町史 1(民俗編)――伝説』は、会津坂下町の町史民俗編のうち、第二十章「伝説」を収めたものである。高寺山の黄金千杯、佐原・栗村の水田開発、交通路、空也・徳一、神仏、地名、雨ごい、狐、笑い話・逸話、妖怪変化、部落の起源、人物にまつわる町内の伝説を集める。冒頭で伝説の意義と自然・歴史・信仰の三分類を述べ、主題別の節に分けた各話の末尾に話者と、井関敬嗣・薄嘉明ら執筆者の名を記す。