旱魃に句を奉じた坂下の雨乞い
どんな伝承か
今から百九十余年前、坂下に主人佳勇と名のる俳諧師がいた。当時の坂下は俳諧のたいそう盛んな所で、佳勇は多くの俳人を統率していた。安永元年六月、会津地方一円が大旱魃に襲われると、佳勇は、俳諧師はおのが楽しみのためだけに作るべきではない、農民の嘆きを座視するに忍びないとして、会津中の俳人に使いを出し、坂下で一大雨乞い俳句会を開いた。雨乞願書を捧げて祈念したところ大雨が降ったので、それを喜んでまた句会を開いた。高弟の智量亭里鶴は、その報恩のため塔寺八幡宮と柳津虚空蔵堂に奉額しようと、全会津の俳人に文を配って句を募った。会津俳壇の壮挙であったと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史)
『会津坂下町史 1(民俗編)――伝説』は、会津坂下町の町史民俗編のうち、第二十章「伝説」を収めたものである。高寺山の黄金千杯、佐原・栗村の水田開発、交通路、空也・徳一、神仏、地名、雨ごい、狐、笑い話・逸話、妖怪変化、部落の起源、人物にまつわる町内の伝説を集める。冒頭で伝説の意義と自然・歴史・信仰の三分類を述べ、主題別の節に分けた各話の末尾に話者と、井関敬嗣・薄嘉明ら執筆者の名を記す。