堀の道を教えた物見壇の大狐
どんな伝承か
元和九年のころ、福原新田村はようやく村の形が整いかけたが、鶴沼川の荒れた川跡で石河原や原野が多く、開墾には多大の苦心を要した。とりわけ田を開くには灌漑の水が要り、どこから引きどこに堀を掘るかが最も頭を痛める問題であった。肝煎の佐瀬嘉左工門が村人を連れて川上へ歩き、鶴沼川に近い小高い丘の上で相談していると、不意に近くの藪から一匹の大狐が現れ、北の村の方へ走って行った。一同はあれこそ神の使いだと元気づき、丘の近くで鶴沼川を堰き上げ、大狐の走った跡をたどって堀を掘ると、水がよく田にかかった。狐が姿を消した辺りに稲荷を祭り、その地字を物見壇と名づけた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史)
『会津坂下町史 1(民俗編)――伝説』は、会津坂下町の町史民俗編のうち、第二十章「伝説」を収めたものである。高寺山の黄金千杯、佐原・栗村の水田開発、交通路、空也・徳一、神仏、地名、雨ごい、狐、笑い話・逸話、妖怪変化、部落の起源、人物にまつわる町内の伝説を集める。冒頭で伝説の意義と自然・歴史・信仰の三分類を述べ、主題別の節に分けた各話の末尾に話者と、井関敬嗣・薄嘉明ら執筆者の名を記す。