横山森子が拓いた横山新田
どんな伝承か
天文五年の大洪水の後に新たに大川ができ、鶴沼川は細流となって荒地がたくさんできた。会津領主加藤嘉明の時代、新田改め奉行高田六郎兵衛が川上から測量してきて、坂下分に五町九反八畝三十歩の開墾可能地を見出した。上町の百姓は開発を断り、他所の者を入れるのも困るとして、結局上町三十四人と中町二人の三十六人で開墾することになった。新田の村を立てよと命じられて困り、水吞百姓ながら才能弁舌にすぐれた横山森子に頼み、各人が金を出し合って家を建て新田主とした。その屋敷は亀ノ子壇の稲荷神社付近にあったが今は坂下バイパスの敷地となり、鎮守の神社は台の宮公園の西端に移された。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史)
『会津坂下町史 1(民俗編)――伝説』は、会津坂下町の町史民俗編のうち、第二十章「伝説」を収めたものである。高寺山の黄金千杯、佐原・栗村の水田開発、交通路、空也・徳一、神仏、地名、雨ごい、狐、笑い話・逸話、妖怪変化、部落の起源、人物にまつわる町内の伝説を集める。冒頭で伝説の意義と自然・歴史・信仰の三分類を述べ、主題別の節に分けた各話の末尾に話者と、井関敬嗣・薄嘉明ら執筆者の名を記す。