額を抜け出し稲を食う元信の絵馬
どんな伝承か
蛟蝄神社の門の宮には古い絵馬が掲げられている。狩野法眼元信が描き、松平伊賀守が寄進したものと伝えられるが、奉納の年はわからない。この絵の馬が毎晩のように額から抜け出し、金塚山の北にある田へ出かけて稲を食い荒らした。それでその田を馬食田、またはうまっくれだと呼ぶ。困った百姓たちが元信に訴えると、元信は馬に手綱を描き足し、それからは稲が荒らされなくなった。ところが元信はうっかり餌を描き忘れたため、馬は死んでしまい、以後二度と動かなくなったという。神社のすぐ裏の田は御供田である。
原典より
寄進された年代は不明であるが、この絵馬に描かれた馬は夜ごと額から抜け出し、金塚山の北にある田ん圃へ出掛けて稲を食いあらした。—— 利根町史 第4巻(通史・民俗編)――民話と伝説(利根町(編)・利根町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
利根町史 第4巻(通史・民俗編)――民話と伝説(利根町(編)・利根町史)
『利根町史 第4巻(通史・民俗編)――民話と伝説』は、利根町が編んだ町史の一巻で、第一章を「民話と伝説」にあてる。町内を歩いて聞き集めた話と『北相馬郡志』などから引いた話を収め、大平権現や布川の地蔵の由来、バッソンの笑い話、大蛇・河童・むじなやキツネに化かされた話、押付新田の鶴殺し事件などを載せる。伝説と昔話に分けず文・布川・文間・東文間の地区ごとに節を立て、各話の題に伝承地を添え、話者名や方言の語釈を注記する。