豆をまかぬ塙家と奥州征伐の先祖
どんな伝承か
旧勝田市の津田には、塙姓の家々が系図を祀る祭りがあった。系図は本家が守り、本家に長男がなければ男の跡取りのある分家へ移す。正月七日に一戸から男が一人ずつ出て営み、女は系図を見ることを許されなかった。烏帽子に直垂姿の菅原道真を描いた掛け軸が伝わり、背景の梅にちなんで塙姓は梅鉢の紋を使うのだという。この塙家では、正月に松の枝を取ってきて膳に置き、その脇に塩ビキを添えて食べる。また節分に豆まきをしないが、それは先祖が奥州征伐に出ていて豆をまかなかったからだと語り伝えている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史)
『勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神』は、勝田市の市史の民俗編のうち、「信仰生活」の部の一部である。鎮守祭礼の移り変わりに続いて、屋敷神や同姓の家々で祀るウジガミと系図祭り、カマド神やエビス・大黒などの屋内の神々、病気や安産の祈願を集める小祠を、市域のムラでの調査と聞き取りによって記す。後半では流行神として上高場の六地蔵、腹切り佐七、塚信仰、東石川大島の無縁様を取り上げ、その由来と信仰の広がりをたどる。