一山和尚――妙義を開いた行者
どんな伝承か
江戸時代の明和年間、一山和尚という行者が不動様を背負い、いずこからともなく妙義へ来た。白雲山の石倉にいて妙義山を開発し、五百羅漢を立てようとしたという。村人が山へ馬草刈りに行って出会い、何か食べたい物を言えば、ぼたもちでも饅頭でも出してくれた。人々はたまげて、どうも不思議だ追い払えというので、名主の佐藤庄右衛門が追い払った。行者は恨みを持ち、名主の家の前を通る時、この家を黒土にしてくれると呪って錫杖で石橋を突いたら、石に穴があいたという。その後、名主の家は系図が絶えて神宮家から養子が来て継いだ。行者は江戸へ出て浅草に五百羅漢を立てたと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妙義町の民俗――伝説・怪異(群馬県民俗調査報告書 第25集・群馬県民俗調査報告書)
『妙義町の民俗――伝説・怪異』は、群馬県民俗調査報告書第二十五集『妙義町の民俗』のうち、年取りの習俗と口頭伝承を収めたものである。上高田・菅原・大久保・中里などで聞いた、お菊さま・一山和尚・爪引き地蔵、天神様や弘法大師ゆかりの石・井戸・池、大桁山や妙義山の天狗と大蛇の伝説と、屁の名人へっぴり関の話、死の知らせや火の玉、化かされた話などの世間話を収める。口頭伝承は昔話・伝説・世間話と怪異・諺と謎に分かれ、各話の末に聞いた土地の名を添える。