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頼政の墓は爲忠の母の墓

所在地茨城県(市町村不明)
年代嘉歷二年
登場
出典相馬伝説集
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どんな伝承か

下総国北相馬郡小文間村の孫兵衛宅に嘉歴二年の碑がある。その碑は倉忠の母の墓を示すものだが、いつの間にか手足の病が治癒すると信じられるようになり、訪れる者が多くなった。地元民は倉忠の母の墓を頼政の墓と呼ぶようになり、頼政大明神と書かれた小さな社が多数建てられた。こうして、母の墓が頼政の墓として知られるようになったとされている。

出典の文献について

相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・大正)

大正十一年、寺田喜久(狂花)が編んだ『相馬伝説集』。茨城・千葉にまたがる旧相馬郡(利根川流域=小文間・守谷・布川・布佐・藤代・横須賀など)の名勝・旧蹟・伝説を、△印で項目立てして地誌的に網羅する。最大の主役は平将門で、守谷町の朝日御殿・桔梗塚・佛島・日秀の石井戸など将門伝説群、その妾とされる桔梗の前の伝説を収める。

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