頼政の墓と呼ばれる嘉暦二年の碑
どんな伝承か
『下総旧事考』に、取手市小文間の孫兵衛の家に嘉暦二年の碑があると記されている。碑には嘉暦二年十一月、為忠の母と読める銘があるが、いつからかここに詣でると手足の病が治るといわれ、頼政の墓と呼ばれて頼政大明神の小幟が何本も立てられている。頼政の墓と称するものは古河にも船穂の結縁寺にも龍ヶ崎にもあって確かでなく、宇治で自害した頼政の首を家臣が東国へ運び、袋が重くなった地に塚を築いたという伝えが『佐倉風土記』などに見える。だが頼政の死は治承年間で嘉暦の銘とは合わない。著者は、故あって東国へ下った為忠の母がこの地で病没し、村人が碑を建てたと見るのが妥当だとしている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。