母と情夫を殺した孝子金吾兵衛の墓
どんな伝承か
取手市小文間の戸田井に金吾兵衛の墓がある。字新田の百姓金吾兵衛は正直で働き者の孝行息子であったが、父惣右衛門が早世すると若い母は字高野の勘兵衛と通じた。噂が広まっても金吾兵衛は何も言わず働き、嫁を迎えて子をもうけるが妻は産後に死に、子は伝吾左衛門の家で乳を貰った。やがて母は勘兵衛を夫に迎え、その間に子ができると金吾兵衛の子を憎むようになる。堪えかねた金吾兵衛はある日、母と勘兵衛とその子を殺し、伝吾左衛門の家から三歳の我が子を受け取ると廊下に打ちつけて殺した。事は幕府に知られ、白状して斬罪となった。天保元年ごろという。今は草の中に小さな碑が残るだけだが、詣でれば風邪や痣が治ると信じる人も多い。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・大正)
大正十一年、寺田喜久(狂花)が編んだ『相馬伝説集』。茨城・千葉にまたがる旧相馬郡(利根川流域=小文間・守谷・布川・布佐・藤代・横須賀など)の名勝・旧蹟・伝説を、△印で項目立てして地誌的に網羅する。最大の主役は平将門で、守谷町の朝日御殿・桔梗塚・佛島・日秀の石井戸など将門伝説群、その妾とされる桔梗の前の伝説を収める。