十七で寺部城に散った本多重立の墓
どんな伝承か
取手市青柳の本源寺には鬼作左本多重次の墓と並んで弟の本多九蔵重立の墓がある。表に本多九蔵重立の墓と刻まれ、礎石は二層で高さ四尺。重立は家康に仕えて戦功を重ねたが、永禄元年二月、家康が三河の寺部城を攻めたとき先陣を切って進み、傷を負って戦死した。十七歳だったという。享保五年三月、子孫の本多作兵衛重正が本源寺に墓を修築して碑文にその事績を記した。碑文によれば重立は幼くして家康に近侍し、寺部城主鈴木日向守を討つ戦で城内に突入して敵を斬り、討ち死にした。戦死の年に生まれた遺児は兄重次に養育を託されて九蔵秀次と名乗り、長久手の役で戦功をあげたと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。