関東三大堰と数えられる岡堰の由来
どんな伝承か
取手市岡の岡堰は関東三大堰の一つで、太郎堰とも呼ばれる。寛永十年に井野川辺の開発人が設計したと伝える。幕府が新利根川を開いた際、相馬郡三十二か村の開拓のため、大字岡の地先で小貝川を横切る土堰を築き、灌漑の季節が終わると切り落とす方法をとった。以来たびたび決壊し、明治二十年の大洪水で堤が崩れて煉瓦の堰枠に改築され、明治三十二年に現在の位置に十二連の堰枠が完成した。明治二十一年には北白川宮が女化原の演習の帰りに舟で堰に立ち寄り、崖上の延命寺から眺めを賞して桜の植栽費を下賜し、水利委員の青芳覚右衛門と高橋又右衛門が桜千本を植えた。今は花見客が絶えず、名物の腹赤という魚も知られる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。