大鹿氏が創建し取手へ移った長禅寺
どんな伝承か
取手の長禅寺は、平将門の弟御厨三郎の後胤と称する大鹿左衛門織部時平が、承久の乱で小田城主小田知重に仕えて功を立て、大鹿村の花輪台に城を築いたのち、同村の大鹿原に大鹿山長禅寺として建てたと伝える。時平は寺の観音を篤く崇敬し、名馬白鹿を得たが、白鹿は参詣を果たさずに斃れたのでここに葬り、それが大鹿の名の起こりだともいう。永禄年間、子孫の大鹿左衛門時茂は小文間城主一色宮内の夜討ちに遭って戦死し、一族は高須村に落ちて農民となった。時平の墓は寺の山林の庚申塚にある。寺は永禄八年に大鹿原から現在の取手の地へ移り、宝暦十年に光音禅師が三層の観音堂を建て、相馬八十八か所霊場の開基の本山となった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。