一色宮内に攻められた大鹿左衛門の敗亡
どんな伝承か
取手の新町にある大鹿城址は、今も花輪堂と伝えられる。永禄四年八月、城主大鹿左衛門が池のほとりで釣りをしていると、小文間城主一色宮内政良が大手に押し寄せたとの急報が入った。左衛門は自ら百五十騎で打って出て二刻あまり奮戦したが、政良方の平本備前と矢作若狭に斬り立てられ、山崎隼人も討たれた。残り二十騎の左衛門を蛯原但馬が救い出して稲村へ退く途中、矢が横腹に当たって落馬したところへ稲村城主高井十郎直徳が駆けつけ、左衛門を稲村城に入れて自ら大鹿城へ向かい、小文間勢は雁金山へ敗走した。『常総軍記』は、一色が仲の悪い大鹿を不意に襲い、病中の大鹿は家老の子須川平治に防がせ、家族を弘経寺に隠して切腹したと記す。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。