和田氏の伝承をもつ布佐城址
どんな伝承か
布佐城址は和田前にある。昔、和田義盛が北条氏に讒せられて鎌倉を出てこの地に来たという説もあるが、義盛は頼朝の死後に兵を挙げて北条義時の軍に一族ことごとく殺されたと鎌倉記にあるので、その説は信じ難い。ただ下総辺の兵を集めたこともあれば、義盛の一族の誰かがこの布佐に居城していたに相違あるまい。利根川図志によれば、この辺の和田前という処から文政二年頃に石棺を掘り出し、中に長い刀と銅仏と石一片があった。石には和田氏墓、傍らに明応九年卒月日不知、文政二年乙卯歳四月建立と刻まれ、和田八幡と称して布佐の正蔵院に祭られている。城は元亀天正の間に田部主水が拠り、天正十三年に布川紀伊守に攻められて陥落した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。