鮭の網代場と芭蕉の宿
どんな伝承か
布佐は古くから鮭の名産地としてその名を遠近に知られていた。昔は網代というもので鮭を捕っていたが、網代は利根の水路を妨げるという理由で廃され、今はその網代場という名称だけが残っている。芭蕉の鹿島紀行には、日が既に暮れる頃に利根川の畔の布佐という所に着いた、この川で鮭の網代というものを巧みに仕掛けて江戸の市で売る者がいる、宵のほどその漁家に入って休んだが夜の宿は生臭かった、と記されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。