河村出羽守の紫原城址
どんな伝承か
湖北駅から取手へ通じる道筋の字根古屋に紫原城の跡がある。外郭の土塁や空堀の痕跡が今も残り、本城は城山の中央にあった。城主は河村出羽守で、四隅は険しい崖、北東は利根川に守られ、空堀で二つに分けた要害だった。永禄年間、城主の川村山城守は柴崎城主荒木三河守とともに小文間城を襲って一色氏を滅ぼし勢いをふるったが、天正元年に北条氏と根戸で戦って討たれた。その子出羽守は北条に降り、天正十八年の小田原攻めで敗れて帰農し、子孫が今も刀などの遺物を伝える。編者は、取手城とされるものはこの芝原城のことだろうと考証している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。