日秀に桔梗が咲かないわけ
どんな伝承か
日秀は湖北村の一部だが昔は一村であった。ここに将門を祀ってあるためか、桔梗は将門の妾であり、秀郷が桔梗を誘い殺した怨恨によって、将門ゆかりの地には桔梗の花が咲かないと言い伝えている。佐倉の将門山にも同じ説があり、北相馬の米の井にある桔梗の墓の付近も花が咲かないという。旧記には、天慶三年に秀郷の第三子と第四子が相次いで病死し、人々は将門の祟りだと言ったので、老臣安部左衛門佐に命じて七騎の武者の霊を茂呂御門に祀らせ、これを将門権現と呼んだが、そこも桔梗の花が咲かないとして桔梗を植える者がないとある。日秀でも桔梗を忌み嫌うことが甚だしく、この部落には一本の桔梗も見ることができない。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。