荒木三河守の柴崎城と小文間城攻め
どんな伝承か
柴崎城址は大字柴崎の城根にある。四方を巡らせた高丘で、その上に塁壁と空堀が今も残る。面積は広くないが西の丸と本丸の二部があり、本丸は東端に突き出した高さ三丈の所にあって、西北隅に櫓の跡、南端に古井戸が残る要害の城である。荒木三河守が拠った城で、永禄四年八月、小文間城主一色政義が三百余兵で大鹿城を夜襲して陥れたのを聞いた三河守は怒り、芝原城主河村山城守らと兵を起こして小文間城を攻め落とした。凱旋した三河守はこの城へ引き揚げたが、天正元年、小田原北条氏輝・氏堯らの大軍が利根川へ向かい、手賀沼根戸で防戦して利あらず北を指して落ち失せ、ここに柴崎城は亡んだ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。