根戸の戰蹟
どんな伝承か
小田原城主北条氏康が下総へ兵を進め、氏堯・氏輝の軍が利根へ向かったと聞いた我孫子五郎左衛門は、柴崎城主荒木三河守に急を告げた。三河守は芝原城主河村山城、布佐城主豊島半之允、鷲谷城主原勘解由、手賀城主原筑前守へ廻文を回し、五百余騎が我孫子へ出て、手賀沼の入江の高所に陣を張った。合戦は乱戦となり、豊島半之允は秋森宮内に討たれ、河村山城は山角下野の矢に眉間を射られて倒れ、荒木三河守はわずか三十騎となって北へ落ちた。小田原勢は二百七十余級を松原に懸け、後陣に勢を示したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。