旅の娘お鶴を人柱にした鶴ヶ池
どんな伝承か
大里から天神林町の白馬寺へ続く田んぼは、『常陸風土記』に見える池の跡だといい、今も長い堤の名残がある。この池が鶴ヶ池である。洪水のたびに堤が切れたので、村人は相談して人柱を立てることにし、ちょうど通りかかった旅の娘お鶴を人柱にした。それで鶴ヶ池の名がつき、以後どんな洪水でも堤は崩れなかったという。また、魚や蛙が多く鶴がよく飛んで来たための名ともいう。江戸時代の初め、この辺りの孝行者が禁を破って鶴を捕り、病の親に生き血を飲ませた。一族まで罰せられるところを、義公はその孝心に感じて許したと伝えられる。
原典より
おりよく旅の娘お鶴というものがとおりかかったのでその者を人柱にした。—— 常陸太田市史 民俗編――伝説(常陸太田市(編)・常陸太田市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
常陸太田市史 民俗編――伝説(常陸太田市(編)・常陸太田市史)
『常陸太田市史 民俗編――伝説』は、常陸太田市の市史民俗編のうち、第五章「ことばの伝承」の伝説と昔ばなしの部分である。第一節「伝説」は市域の伝説を自然的伝説・社会的伝説・歴史的人物伝説・信仰的伝説の四つに分け、国見山・赤沼・源太郎狐・十王坂・舞鶴城・義家・親鸞・徳川光圀・真弓山の天狗などの話を記す。社会的伝説には地名のいわれや塚・城跡の伝承が多く、第二節「昔ばなし」は冒頭の三話だけを収める。