山国川の人柱・鶴市親子
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どんな伝承か
崇徳院の頃、豊前山国川下流の藍原村坂手隈では毎年の水害に地頭たちが苦しみ、水神に人柱を立てることになった。袴を川に投げ入れ最初に沈んだ者を人柱とする定めで、真っ先に沈んだのは湯屋弾正の袴であった。だが弾正の家臣古野源兵衛の娘つると、その子市太郎が身代わりを願い出て、母子ともに大堰の人柱となった。保延元年、市太郎はわずか十三歳であったという。二人は鶴市神社に祀られ、以来この地の水害はぴたりと止んだと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・大正(大正12年・1923年))
大正12年刊、及川儀右衛門が筑紫野(筑前・筑後・肥前・豊前・豊後・肥後の北部九州)で2年間に故老や下宿の婆さん、教え子から聞き集め文献に照らしてまとめた民譚集。序と全六章(一河童・二怪火・三長者・四神事及び歌舞・五山の神秘水の伝奇・六怪異)から成る。
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中津市の伝承
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